おむすびマガジン 第43029号
2022.6.28発行

【隠居屋インタビュー】「子どもにも大人にも、もっと遊びが必要だ」能動的な遊びをテーマにしたイベント「あそびのいえ」を手がける矢野雅大さん

大正時代に建てられた風情ある建物で、曜日制のカフェやイベントが行われている「隠居屋」。「古き良きものを後世に残したい」という思いから、オーナーの石井さんが古民家を改装し、レンタルスペースとして開放したり、子ども食堂を開いたりすることを通して地域のつながりを生み出しています。初めて訪れても、どこか懐かしさを感じる立派な日本家屋や、漂う静謐な空気に、リラックスしながらも心のどこかでぴんと背筋が伸びる、そんな空間です。

そんな隠居屋で、“大人も子どもも遊びましょ”を合言葉に、様々なプロの表現者が集い、一緒に遊ぶ『あそびのいえ』というイベントが不定期に開催されています。イベントを手がけるのは矢野雅大さん。遊びやまちづくりをテーマに活動している茅ヶ崎在住の矢野さんが、なぜ隠居屋を選んで活動しているのか、またいろいろな場所で活動している矢野さんにとって「遊び」とは一体何なのでしょうか?
omusubiインターンの宇田川が聞きました。

プロフィール

矢野雅大(やのまさひろ)
遊びでまちづくりする準備室代表。神奈川県茅ケ崎市在住。 1977年千葉県浦安市生まれ。20代まで音楽活動に明け暮れ、サブカル・アングラ街道まっしぐらに。急遽、パンク音楽から幼児教育に目覚め、あそび環境を創造する会社㈱ボーネルンドやまちづくり会社を経て、現在は、放課後NPOアフタースクール所属。遊び・教育/ローカル/ソーシャルな視点であそび場等の居場所づくりに活動に取り組み中。

20代はパンクバンド、30代は遊環境を創造する会社、40代で大人と子どもの居場所づくりへ

――今は「遊び」や「まちづくり」を軸に活動されている矢野さんですが、20代の頃は音楽に打ち込んでいらっしゃったんですよね。

矢野さん:ニューヨーク系のパンクが好きで、都内で『ハズレッシヴ』というパンクバンドで音楽活動をしていました。自分は音楽を通して表現をしていたわけですが、表現するということについて考えたときに、大人よりも子どもの方が相性がいいと思い、「自分らしさってもっといろいろあるんだよ」ということを子どもたちに伝えられたらと、幼児教育に興味が出てきたんです。

そこで30歳頃から公園や幼稚園の園庭を作ったり、おもちゃの販売などを展開するボーネルンドという会社に入りました。ボーネルンドという名前は、デンマーク語で「子どもの森」という意味です。遊び場を作ったり、プレイリーダーとして子どもと接したり、販促をしたりしながら10年ほど勤めたのち、まちづくりの会社に転職しました。

――ボーネルンドは木の温かみのあるおもちゃで有名な会社ですよね。わたしも木のドールハウスを持っています。なぜ転職をされたのでしょうか。

矢野さん:理由は大きく2つあって、ひとつは働き方という意味で、管理職になるよりも、ずっと現場にいたいという気持ちがありました。もうひとつは、企業にとって利益を考えると、子どもという存在はおまけのような扱いということにはがゆさを感じたんですね。デパートのフロアを見ると、子どものフロアって8階や9階にありますし、商業的な販促を考えるときも親子で来ることが前提になります。

アメリカに視察に行ったときに、欧米では子ども中心に世界を見る文化があるなと感じ、このまま日本で子どもの業界で働くよりも、自分が考えたプランやプロジェクトを実現していきたいと考えたんです。まちづくりという言葉は聞いていて、興味を持っていました。

――まちづくりの会社が普段どんなことをしているのかあまり想像がつかないのですが、具体的にどういった活動をされていたんですか?

矢野さん:まずは品川区のまちづくりの会社に入ったんですが、都会型のエリアマネージメントという感じで、商業デベロッパーや不動産会社さんがクライアントでいて、イベントやブランディングをやっていました。そこには3〜4年いましたね。ただ、夏祭りを企画しても、やはり子どもは真ん中にこなくて、商業施設の利益を考えなくてはいけないことに違和感を感じていました。ただ、地方とのやりとりがあり、長野に行ったときに手応えを感じたので、そこには関わり続けたいなと思っていました。

次に関わった横浜のまちづくりの会社では、ソーシャルビジネスを中心にした活動をしていて、国や行政を中心にして、社会的弱者や福祉とネットワークを作り、育てながら、ローカルビジネスをおこしていくような活動をしていました。

――今はまた違うお仕事をされているのですよね。どんなお仕事なのでしょうか。

矢野さん:まちづくりの会社で働きながら、自分がやりたいこと、得意なことを考えていった結果、今は放課後NPOアフタースクールというところで働いています。NPOですからソーシャルなことをやるのが前提ですし、放課後をゴールデンタイムにするということを目指してアフタースクールを作り、地域とどうつながっていくかを考えているので、自分の経験も生かせて面白そうだなと感じました。東京農業大学の小学校のアフタースクールを担当しています。

自分がやりたいことはそんなに多くはないんですが、自分が楽しいことと、社会にとっていいことが両立できるといいなと思っています。

――いろいろな人と活動されていて、人脈が広いなと感じるんですが、どのように人とのつながりを作って来られたのでしょうか。

矢野さん:まちづくり会社ってステークホルダーが多いので、そこで自然とつながりが広がりました。イベントをするときは、こういう人いないかなと知り合いに声をかけて紹介してもらうこともあります。それこそomusubiさんのスタッフに紹介してもらったこともありましたね。松戸にあまり知り合いがいなかったので。

「遊ぶ」ということをテーマにしてイベントを企画すると、表現者も関心を持ってくれることが多くありがたかったです。でも人づきあいが億劫な時期もあったんですよ。20代にバンドをやっていたときは、社会は敵って思っていました(笑)。30代は会社の中でしか生きていなかったところがあったので、40代でまちづくりの会社に転職してから変わりましたね。今は地方に行くときも人に会いに行っていますし、人脈は財産だと思っていて、自然に人とつながろうとしています。

――音楽活動をされていたことが、今でも生きていると感じることはありますか。

矢野さん:そうですね、表現することも、表現する人も好きな原点はやはり音楽にあると思っています。その頃に知り合った仲間の活躍を知って嬉しくなったり、実際にコラボレーションすることもありますし、ネットワーク的にも価値観的にもつながっていると感じますね。

子ども食堂で松戸のことを本気で考えている人たちと出会った

――隠居屋さんのある松戸は矢野さんの住まれているエリアから少し距離があると思うのですが、隠居屋さんのことはどのようないきさつで知ったのでしょうか。

矢野さん:まちのコーディネーターとして週3で働きませんか、というのをomusubiさんが募集していて、それに応募したのが最初のきっかけですね。ソーシャルデベロッパーやマイクロデベロッパーというような、不動産の人がどうやって街を作っているのかに興味があったので。

松戸の住人ではなかったこともあって、そのポジションには落選ということだったんですけど、隠居屋さんで何かやりませんか、と声をかけていただいて、イベントが実現したという経緯です。

――そんな経緯があったんですね! 実際に隠居屋さんでイベントを開始されてからの印象はいかがでしたか。

矢野さん:松戸に伊勢丹があったときに、その中にボーネルンドの遊び場があったので、主婦の方や商店街の方と面識はあったんです。ただ正直なことをいうと、当時はあまりいい印象はなかったんですが、omusubiさんや隠居屋さんとのやりとりを通して印象が変わっていきました。

はじめは子ども食堂に参加して、そこで松戸に住んでいるメンバーが本気で松戸のことを思って活動しているんだなと感じました。

自分の仲間5〜6人に声をかけて企画したんですが、すぐに80人以上の予約が入って、嬉しかったですね。ただコロナの関係で2回延期になってしまい、なんとかここまで3回開催することができました。いろいろな人に出会えましたし、会社の外で自分がどんなことができるのかということを模索しながら、自分でプランを立てて実行するという実験的な試みが成功して、他の場所でもやることができそうだなという大きな自信につながりました。

――『あそびのいえ』でも遊びをテーマにされていますが、矢野さんにとって遊びとはどのようなものなのでしょうか?

矢野さん:「遊び」という行為が好きなんです。乳幼児って、これから何にでもなれるような存在で、ただ遊ぶことが仕事ですよね。自分の中で遊びの定義は3つあって、1つ目は行為自体が目的であること。絵を描くという行為はしなくてはいけないものではなく、絵を描いている最中が面白いから描いている。2つ目は能動的であり、自発的であること。3つ目は満足感があることです。ゴールがなく、自分のやりたいことをやることが遊びです。

――たしかにわたしの子どもたちも、絵を描いたり工作しているときはすごく集中していて、終わったら絵や工作はそのあたりに放ってあるので(笑)、今のお話はすごく合点がいきました。『あそびのいえ』のような場所で遊び場の環境を整えるときに、矢野さんが心がけていることはなんですか。

矢野さん:ランドスケープ的なことも考えますし、予算や安全面を考慮するのはもちろんなんですが、そこに来る子どもたちの主体や自由度を高めていけることを一番に考えています。スタッフも仕事ですけど楽しむこと、大人がすべて作ったものではなく、不確定要素を高めること、生きた場所にすることを心がけていますね。

自分でプランを考えそれを実行する「実践者」であり続けたい

――お仕事もあるのでご多忙だと思いますが、現在は他にどんな活動をされているのですか。

矢野さん:長野県松川町とはずっとつながりがありまして、『あそびの市場』と題した集まりを開催しています。先日も1泊2日で竹でご飯を炊いたり、運動会のようなことをしたりと大人と子どもで楽しんできました。

また、隠居屋さんでイベントをしたことで、自分がワークショップに呼ばれるというケースもありまして、例えば最近だと足立区で中高生の居場所作りを目的とした活動で、せんぱく工舎で美術教育家として活動しているいたがきだいちさんと「遊びとアートで一緒に何かやろう」とワークショップをしました。習字を使ってでたらめ文字を作り、自分を表現するというものだったんですが、中高生向けに考えてみたら来てくれた方は全員大人で(笑)、でも盛り上がりましたね。

――隠居屋さんのイベントで知名度が上がったり、人脈が広がることでいろんなつながりが生まれているのですね。

矢野さん:そうですね。個人として活動ができるようになったのは、隠居屋さんのイベントが大きなきっかけになったと思います。今後もずっとプランを考えてそれを実行していける人でありたいと以前から思っていましたが、その思いがより高まりました。

子ども食堂の活動に関しても、やはり実行する、それを継続するということが素晴らしいと感じています。

――矢野さんは日本各地で活動をされていますが、いろいろな場所に行くことでどんなことを感じられていますか。

矢野さん:子どもに関していうと、基本的にはそんなに差はないなと感じています。ただやはり長野の子どもたちのほうが足腰は強いかな(笑)。例えば農家の方々が持っている竹を切って竹ご飯を炊くような生きる知恵であったり、冬の寒さも本当に厳しいですし、そういった自然に対応する生きる力やたくましさは都会に住んでいる者として素直にまぶしいですね。

都会で生きていると、どうしても消費型のライフスタイルになってしまって、魚をとって食べるような本来の生きる活動からどうしても遠ざかってしまいがちです。茅ヶ崎でEdiblePark茅ヶ崎というコミュニティ農園に参加しているのですが、そこでの良い影響もとてもあります。農や自然などの日常性がないと、そういう場所にイベント的に出会っても大人自身が不安そうというか(笑)。大人ももっと楽しめて、頭で考えずに生きる喜びを味わえる世界を作っていきたいという思いはあります。

――わたしも今年、体験農園に挑戦しているのですが、大人が不安そう、すごくわかります(笑)。子どもたちにもなるべく自然体験を、と思ってはいるのですが、やはり一時的なものになりがちで。隠居屋さんでの『あそびのいえ』以外にもいろいろな活動をされていらっしゃいますが、今後どのようなことをしたいと思ってらっしゃいますか。

矢野さん:本業での放課後の居場所作りや隠居屋さんでの活動、また長野での活動を少しずつ積み上げていきたいですね。遊びを通して子どもたち、大人たちの居場所を作り、共感の種まきを続けていけば、もう少し言葉にできて発信できることが増えるのではと思っています。

また先日映画『夢見る小学校』を観たのですが、非常に感動しました。日本の学校ってどうしても画一的になりがちで、そういう場所になじめない子どもたちもたくさんいます。いまある学校が変わるのも大事ですし、新しい学校を作ることに挑戦している人もたくさんいます。そういった人たちを応援していきたいですし、自分も謙虚さや視座をちゃんと持って自分のやることに取り組みたいと感じました。

今子どもたちが7歳と5歳なんですが、子どもが大きくなるのはあっという間だなと感じます。自分の活動にも連れて行っていますし、一緒に過ごす時間を大切に積み上げていくことを楽しみにしています。

――本当に子どもの成長は早いですよね。いつまで一緒に行動してくれるかわからないですし、今を大切にというメッセージ、心に刻みます。今日は素晴らしいお話をありがとうございました!

取材/omusubi不動産 庄司友理佳 宇田川理絵
文/宇田川理絵 
写真提供/矢野雅大