おむすびマガジン 第43016号
2022.6.28発行

【隠居屋インタビュー】「つくって届ける」をテーマに、農家レストランを営む亀吉農園 大場友さん 大場恵梨奈さん

大正6年に建てられた母屋を改装し、「古民家のよさを守りながら、人と人との交流が生まれる場所にしたい」というオーナー、石井さんの思いでレンタルスペースとして利用されているのが松戸の「つながる古民家 隠居屋」です。大正時代の職人さんの心意気を感じながら、建物から庭を眺めたり、田舎の親戚の家に遊びにきたような気持ちでゆっくりとくつろぐことができる非日常の空間となっています。

そんな隠居屋で、自らが育てる野菜のレストランを始めたご夫婦がいます。週末に隠居屋で開く予約制のレストランは瞬く間に大人気になり、いつも予約はいっぱいに。やがて独立し、今では自らの店舗で1週間に3日ほど、レストランを営んでいます。

なぜ大場さん夫婦はサラリーマンを辞めて農業を始めたのでしょう?農業と飲食業を両立するのは大変ではないのでしょうか。隠居屋さんでの日々は、今の大場さん達にどのように影響しているのでしょう。

さまざまな疑問について、omusubiスタッフの宇田川と庄司がお聞きしてきました。

プロフィール

大場 友(おおばゆう)
大学卒業後、シンガーソングライター、サラリーマンを経て、2020年より、友さんの地元・松戸と奥さんである恵梨奈さんの実家である長野の2拠点にて農業をスタート。収穫した野菜を使った料理を提供するレストランを隠居屋にて始め、2021年に「やさいのレストラン 亀吉農園 別館」をオープン。

大場恵梨奈(おおばえりな)
長野県木島平村出身。小学6年生よりスキージャンプを始め、大学3年の時に開催された冬季ユニバーシアード トリノ大会で銅メダルに輝く。大学卒業後、企業選手としてジャンプ競技を続け、26歳で引退。その後結婚。2020年より友さんと農業をスタート。隠居屋にて野菜を使った料理を使ったレストランをスタートし、2021年に「やさいのレストラン 亀吉農園 別館」をオープン。

大学で救急救命を学び、シンガーソングライター、サラリーマンを経て農業の道へ

――友さんはなかなか興味深いキャリアをお持ちのようですが、大学卒業後は何をされていたのでしょうか。

友さん:入った大学が、周囲は90%以上、救急救命士として消防署に就職するという環境だったんです。でも僕は救急救命士にはなりたくなくて、大学3年生の頃に曲を作り始めたんですね。デモテープを作っては音楽会社に送るということをしていたらいい反応をいただいて、6年ほどシンガーソングライターをしていました。

最初の頃はアルバイトをしないと収入が不安定で、港区のスポーツセンターでアルバイトしていたんです。そこで妻と出会いました。

29歳ぐらいで結婚したんですが、そのタイミングでサラリーマンになりました。

――思い立って曲を作れるってすごいですし、デモテープにすぐ反応があるのもすごいです。サラリーマン生活はいかがでしたか。

友さん:伝統工芸をベースにしたものづくりをしている福井県の会社で、ゼロベースでいろいろなことを作っていけたので楽しかったですね。マーケティングなども学べて充実していました。

――そこから農業をやろうと思われたきっかけはなんだったのでしょうか。

友さん:子どもが産まれたことが、大きなきっかけになりました。最初の子が産まれて、4歳ぐらいになったときに畑を借りたんです。家庭菜園はその前からやっていて、自分で野菜を作ることができるという豊かさを感じてどんどん熱中していきました。2人目が産まれたときに、この子の離乳食に使う野菜は自分で作りたいと思ったんですよね。

40歳になるまでに何とかしないとという気持ちはあって、子どももどんどん大きくなるので、待っていられないなという気持ちでした。

恵梨奈さん:もともといつかは独立するつもりということは言われていたんです。何で独立するかは未定とのことだったので、農業と言われたときはびっくりしましたけど、わたしの祖父母も農家だったので、いいんじゃないとすぐに思えました。

友さん:妻は僕の決断にいつもいいねと言ってくれるので、そこには助けられていますね。

――恵梨奈さんはスキージャンプ選手だったということですが、どんなきっかけで選手になったのですか。

恵梨奈さん:育ったのが長野県で、雪深いところだったので雪は身近な存在で、もともとクロスカントリーをしていました。小学校5年生になったときに、地元にジャンプ台ができたんです。気になったので見に行って、最初は女子でやっている子が少なかったので、男子の試合に混じって出場したりしていました。

競技人口が少ないこともあって、中学生ぐらいでこれはやめられない、ジャンプで生きていかないとって感じましたね。大学は東京に出たんですけど、その後また長野に戻ってジャンプを続けていました。結婚のタイミングでまた関東に戻り、ジャンプも卒業しました。

――おふたりともかなりレアな職業を経験されているのですね。2拠点生活をされているとのことですが、なぜ2拠点生活を選んだのでしょうか。

友さん:ルーツがあるところで畑をやりたいなと思ったものの、「移住までしなくてもできるんじゃないか?」と思ったことが理由ですね。松戸は僕が生まれ育ったところで、長野は妻の故郷なんです。妻の実家の前が畑なんですが、継ぎ手がなく空いていました。長野には基本的に手入れがあまり必要ないさつまいもなどを植えていて、金曜日の夜に松戸を出発して日曜日の夜に帰ってくるということを1か月に1回やっています。ただ雪がふってしまうと畑もできないので、5月から11月ぐらいの間ですね。

店舗を持てたのは隠居屋さんでの経験があったから

――隠居屋さんのことはどのようないきさつで知ったのでしょうか。

友さん:農業をはじめると同時に、自分たちの思いを形にして伝える場ありきだと思っていたので、シェアキッチンがある物件を探していたんです。そこでomusubi不動産を知って、紹介してもらったのがきっかけですね。

――実際に隠居屋さんでイベントを開始されてからはいかがでしたか。

友さん:コロナのピーク時だったので営業が延期になったりで、当初の予定よりも半年遅れてスタートしたんですが、最初はやはり誰も来なかったですね(笑)。来てもらったお客さんにはとにかく話しかけ、反応を見てメニューなどを改善していくと同時に、インスタグラムの広告を使って宣伝にも力を入れましたが、これがけっこう反応がよくて、徐々にお客さんが来てくれるようになりましたね。

――隠居屋さんの古民家という環境に、野菜を使ったモダンなお料理が映えていたと感じました。

友さん:そうですね、そこは妻とも話し合って意識的に掛け合わせていました。実は最初は日本そばを考えていたんですが、妻に広がりがないと反対されまして。今思えば、古民家とパスタという意外性がよかったのかなと思いますね。僕、和食が好きなのでパスタは家では食べないんですけど(笑)。

――そうなんですね!それはまた意外な告白です。お料理についてのこだわりはありますか。

友さん:そば打ちを習ったり、レストランでアルバイトをしたりはしたんですが、きちんと料理を習ったことはないんです。ただ食べ歩きが好きで、インスピレーションはそういうところから得たり、小さな頃から料理を作るのは生活の一部だったので、自分の美味しいと思える味をシェアしたいという気持ちですね。何料理?と聞かれると困ってしまうんです。強いて言うなら家庭料理ですかね。

小さい頃から両親が共働きで、冷蔵庫には食材がたくさん用意されている環境だったんです。男3兄弟なんですが、僕が料理を担当することが多くて。男の子って例えば焼きそば1品じゃ足りないので、複数の料理を同時進行するみたいなことも日常的にやっていましたし、今の自分の料理人としてのルーツは確実にあの頃にあったと思います。

――その環境作りは、ぜひ我が家でも真似させていただきたいです! ところで、現在の店舗をかまえたきっかけは何だったのでしょうか。

友さん:やはり長期的にはいつか店舗を持ちたいと思っていたので、omusubi不動産の代表でもあり、個人的にもつながりがあった殿塚さんにそういった思いを伝えていたんです。そういった流れで、ここはどう?と紹介していただいたスペースが現在の店舗の物件でした。

隠居屋さんで営業を始めてから、1年半ぐらいが経った時期でした。本当はもう少しあとでもいいと思ってはいたんですが、やはりこういった出会いはタイミングなので、1回は自分だけで、もう1回は妻と一緒に内見して、ここでいこう、とすぐに決断しましたね。

隠居屋のオーナーの石井さんは、今の店舗にも食べに来ていただいたり、SNSに投稿したときには反応を書き込んだりしてくれていて、今でも本当に母のように見守っていただいているなと感じます。

レストランと農業は「2つの事業」と思っていない

――レストランと農業、2つのことを両立させるのは大変ではないですか。

友さん:大変ですけど、それありきでスタートしているので、「つくって届ける」というところまでがひとつです。2つのことをやっているとは思っていないですね。

――SNSやオンラインツールを上手に活用されているなと感じますが、そういったツールに対してどう思いますか。

友さん:便利なものは使おうと思っていますね。農家という漢字の通り、農業って家業なので、いきなり農家をはじめようと思っても畑を借りるのも大変だったり、農機具がないと不利だったりします。

もちろんいいところもありますが、昔から農業をやっている人にとっては、新しいアイディアや考えに挑戦しにくいという面がどうしてもあると思います。僕みたいな新参者が、好き勝手にいろいろなことを試してみちゃえと思ってやっています。

農業の継ぎ手の問題などもありますが、とにかく楽しそうに取り組むことで、農業をやりたいと思っている方々にどこかで貢献できたらいいなという気持ちもありますね。

――味わい深いロゴや名前はどうやって決めたのでしょうか。

友さん:名前に関しては、最初はいろいろと考えたんです。フランス語や英語などもいいなと思ったり。ただ、妻の実家のお墓参りによく行っていたんですが、墓石の墓誌の一番最初のところに亀吉という名前が書いてありまして、縁起がいい漢字ですし、ルーツを大切にしたいという自分たちの気持ちにも合っているなと感じて、「亀吉農園」というふうに決めました。

ロゴに関しては、店舗のリノベーションもお願いした「つみき設計施工社」さんにお願いしていて、息が合うというか、こちらの意図をよくわかってくださるので、安心しておまかせしました。

――子育てと仕事はどのように両立していらっしゃいますか。

友さん:この仕事を始めた理由のひとつが、もっと子どもと過ごしたいということでした。ランチ営業だけの日は、早く帰れますし、一緒に夕ご飯を食べられて、一緒に寝られる。子どもが大きくなるまでの貴重な時間を一緒に過ごせることはかけがえのないことだと感じています。

恵梨奈さん:仕事も家事も共有しています。例えばご飯と洗濯など、家事はそのときに手が空いているほうがやったり、分担してやったりすることで早く終わりますね。

――マルシェなど、レストラン以外にも興味深い試みをいろいろされてらっしゃいますよね。今後の活動で、どんなことを実現していきたいですか。

友さん:周囲をまきこんで、どんどんつながっていきたいですね。マルシェに関しては、最初はひとりマルシェのような状態で、野菜売ります!というような告知をインスタグラムのストーリーでしていたんですが、意外と皆さん来てくれたんですよね。そこから友人で焼き菓子を作ってくれる人などに声をかけて、一緒にマルシェをしている感じです。あとは今の作って届けるという活動を地道に続けていきたいです。

――大場さんの、どんどん自分のアイディアを形にしていく、生きる力のようなものを今日はたくさん感じさせていただきました。素晴らしいお話をありがとうございました!


亀吉農園 別館
住所:千葉県松戸市稔台1丁目21−1 あかぎハイツ 107
営業時間:月ごとにSNSでお知らせしています
定休日:月ごとにSNSでお知らせしています
日常の活動を紹介しているインスタグラムhttps://www.instagram.com/farm_kamekichi/?hl=ja

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取材/omusubi不動産 庄司友理佳 宇田川理絵
文/宇田川理絵 
写真提供/大場 友